2013年1月9日水曜日

文字について

http://www.nacos.com/information/character/historical.php

我々日常的に文字を使い記録を残しますが、世の中民族によっては、文字を持たず口承のみで伝統を守っていた文化もあります。アボリジニやアイヌなんかも文字を持ちませんでした。

しかし、この文字も面白いです。我々の使う漢字は、甲骨文字から今現在も進化している文字で、ひらがな、カタカナは漢字から音を表した表音文字です。

ルーン文字なんかはその文字に意味があったみたいで、アイスランドでは今もþ(ソーン(巨人、怪物の意)というアルファベットが使われています。

文字も生まれては使われなくなったり、今はだれも読めない文字なんかもあって見てるだけで思い白いです。上のサイトでそれなりに文字の歴史がわかりますが、12世紀あたりの女真文字が解読されていないというのも面白いと思います。

ちなみにマヤ聖刻文字でなんか書けと言われたら相当時間がかかると思います。


2013年1月7日月曜日

言語

旧約聖書によると、昔人はみんな同じ言葉しゃべってたけど、バベルの塔作って神に挑戦しようとしたため、神様はおこって意思の疎通ができないように言語をたくさんつくったとかいう話があります。

おそらく殆どの人がかならず言葉は話すわけで、言葉の重要性は身にしみていますが、なにもこんないっぱい言語をつくらなくてもいいんじゃない?的に思っています。

まったくもって世界でどんだけの言葉が話されているかはわかりませんが、現在進行形で増えたり減ったりしていると思います。

世界の言語を調べると面白いです。自分は話せるようになりたいと思いませんが、なんでこういう言語が話されているか?という視点で言語を考えたことがあります。

絶滅の危機に瀕しているアイヌ語、悪魔でも泣きをいれるぐらい難しいバスク語、ヨーロッパ本土では使われていないアルファベットを使うアイスランド語、いまだに起源などが解明されていない日本語など。それなりに興味があってしらべました。

日本語の中で方言などがあって、北と南じゃ意思の疎通が難しいと思いますし、入植して200年立っていない北海道ですら、すでに方言があって本州とは違う感じがします。

そもそも人類はどの段階で言語を習得したか?を考えるとアフリカの言葉が古い初期段階の言語なのか?とも考えますが、人類の伝播の状況を考えるとバスク語あたりも古そうです。

バスク語なんてフシギでしょうがないです。スペインの州の一つのバスクですが、周りはスペイン語やとなりのフランス語なのに、かたくなにバスク語を使っています。周りとの交流があったはずなのに言葉は変わらない。謎です。

世界でみんなが同じ言葉を喋ればコミュニケーションも上手く取れたでしょうけど、なかなか難しいものです。

日本語を言語学的に見るとなかなか習得するのにややこしい言語です。それとくらべると英語なんてすごい楽です。こんなわかりやすい言葉ないと思います。

しかし、英語もうまく話せないんですよね。言葉って難しいです。


2013年1月6日日曜日

ウィトゲンシュタイン

語りえぬものは沈黙せざる負えない。

と、ウィトゲンシュタインは言いましたが、いろいろ宇宙や何だに思いを巡らせたら、何も言葉に出来なくなりました。

よく世界の終わりだ!とか映画で言いますが、世界=人類の文明という認識があるでしょうか?

別に人類が滅ぼうが宇宙は終わらないでしょう。

世界=宇宙という私の認識は、宗教観や個人の考えで違うとも思います。

この辺を探りたかったですが、たぶん自分ごときの一生ではわからないと思います。

んー難しい。

2013年1月4日金曜日

ニコラ・テスラ、マルコーニ(電気通信)など

ニコラ・テスラやマルコーニが電波による通信技術を開発してから約120年、どんだけの電波がこの空間を飛び回っているかと思うと最近気持ち悪くなる。

まず、テレビやラジオの電波、AMなら526.5khz~1602khz、FMなら76MHZ~90MHZ。地デジなら470MHz~770MHzの間らしい。
これに携帯の電波、場所によったらWIFIの電波、bluetoothだったり、携帯ゲーム機の電波なんかもある。電波なんか目に見えないだけで、なんとなく生きているけど、実際は可視化されたらぐっちゃぐっちゃなんだろうな。

この120年間、むしろWWⅡ近辺あたりでラジオなどは普及したと思うが、おそらくこの50年ぐらいでだいぶ色んな電波が増えてきたと思う。実際電波などの無線通信技術がないと私なんかは凄く困るのだけれど、気分的になんか気持ち悪い感じがする。

このブログを書いている(打っている)キーボードだって、ワイヤレス。iPhone5とスピーカーはbluetoothで繋がりスピーカーからはAutechreが流れている。

恐らく最近Autechreばっか聴いているから思考が電子、電波なんかに向いてしまっているんだろうな。

私の好きなアニメ「エウレカセブンAO」では主人公の少年はトラパーという普通の人が見えない物質を見ることができる。もしかしたら70億人以上いるこの人類の中にも電波が見えちゃったりする人がいるのかもしれない。

自分が見えてしまったら気が狂いそうだけど…。

恩恵に甘んじている立場でなんも言えないけれど、いまの電波がごちゃごちゃ飛び交う世界ってどうなんでしょ?

2013年1月3日木曜日

バートランド・ラッセル 他

現代哲学者のバートランド・ラッセルは、労働について以下のように述べました。

「幸福へいたる道は、労働の組織的な減少のうちにある」
つまり、より労働しなくなれば、人間の幸福は増進する。

さすが、ウェールズの貴族に生まれケンブリッジ大学で数学を研究していた人はいうことが違います。

なぜ、こんなことを備忘録に残すかというと、自分は根っからの怠け者です。働きたくないです。しかし、煩悩が多く欲深い人間なので、安定だけがとりえの自分自身一番向いていないと思う業種で働いています。

私自身の労働する目的は、自分で稼いだ金で欲しい物を買い、行きたいところへ行くために働いています。すなわち、労働のあとの、余暇的?な部分のために働いています。

自分はいままでラッセルの名前は知っていましたが、中身についてはうっすらしか分かりませんでしたが、調べてみるとなかなか面白い。

ラッセルは余暇こそが私たちの生活の主たる部分を形づくり、遊びと創造性の源泉となるべきものだと述べています。

なるほど、同意せざるおえません。

また、労働の道徳性とは、奴隷の道徳性であり、現代世界にはもはや奴隷制は不要だ、とも言っています。このへんは現代日本の労働観に通じるところもあると思います。

ラッセルはこの辺で終わります。明日から働きたくねー。つまり逃避のために労働について述べました。

つぎは時間についてです。

時間の概念について考えていると時が流れるのが早く感じます。(個人的に)
日本人は時間に正確と言われていますが、明治初期までオランダ人技師があきれるぐらい日本人は時間を守らなかった話はよく聞きます。しかし国を挙げて時間管理を教育したおかげで世界でも有数な時間に厳しい国になりました。

時間の感覚というのはその文化や宗教などによってもそれぞれ違うと思います。
~するの面倒なとき、億劫だといいますが、億劫とは時間の単位です。最近億劫について解説したネットのコピペを見ますが、一劫とは100年に天女が降りてきて羽衣で岩山を撫でる行為を言います。その岩山が羽衣の摩擦で消滅するはてしない時間を億劫と表現しています。さすが仏教果てしない。

時間の流れ(方向)を考えることも自分は好きです。おそらくほとんどの人は時間の方向は過去から未来へと流れていくと考えているかと思います。私自身もなんも疑いもなく最近までそう思っていました。年末の連続遅刻事件を気に改めて時間について考えました。

そこでの答えは時間は未来から過去へ流れている、とする時間観に至りました。
仏教などでは今行なっていることもその刹那刹那で過去になると考えられていますが、自分の立ち位置を現在と考えると未来から時間が流れていき、その事象が過去になるということらしいです。

これはなるほどと思いました。過去から未来への時間の流れは一神教的な時間の流れだそうです。キリスト教などではこの様な時間の流れのほうがいいらしいです。結局のところ、たいていの一神教は終わりが来て、最終戦争ですべてがなくなり、来世ではいいことあるよ、信じてればね。っていうスタンスなんでそのような時間の流れがいいかもしれません。

ながながと書きましたが、今現在の自分は明日から働きたくない一心でこんなことを逃避的に調べてしまいました。つまりなんで休日はあっという間に過ぎてしまうの?からなんで働かなきゃならんのか?まで完全に逃避です。

なんで人は逃避するか?を書いてしまったら、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を書かなくてはなりませんので、またそれはいつか。

2013年1月2日水曜日

スオミとサーミ他

最近気がついたが、スオミとサーミは全く違うこと。スオミとはフィンランド人が自分たちを呼ぶときに使う言葉。サーミとは、フィンランド、ノルウェー沿岸に暮らす先住民のこと。自分はサーミ人を翻訳の違いでスオミと訳されていると思ったが、まったく違った。

さてサーミ人は北極圏で狩猟放牧を行い生活する人々で俗にいう北方民族です。チェルノブイリ以降トナカイの放牧が大変らしい。

話はそれますが、北方民族の人たちの色使い好きです。

これがサーミ人の男性の服



これはロシア北極圏で暮らすネネツ人の服

樺太中部、シベリアに住むニブフの服

これはアイヌのユーカラ織り


この様にサーミから順を追って東に行きましたが、模様や色使いに関連性があるように思える。アイヌのユーカラ織りはおそらく晴れ着的な服だと思う。しかし、鮮やかな色使いは雪が多いから?白い中でも目立つためか?このへんは研究が必要。

ちなみによく北欧というとノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマークの北欧4国という考えがあるが、民族的にはフィンランド人はウラル語族フィン・ウゴル語派で、スウェーデンなどはインド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派北ゲルマン語群でまったく違います。隣国同士ですが、その場所に来るまでのルートが違うので話す言葉全く違います。このへんの言語の考えは、中国・朝鮮と日本語の関係に似ている気がする。そもそも日本語が系統不明の未解明の言語であるのをどんだけの人が知っているか…。


2013年1月1日火曜日

昨年末に自分の雑食的収集癖をいかに残すかを考えた結果、ブログ形式という形になった。
ということで2013年からはできるだけ毎日その日気になったことをブログという形で残していく。

今現在の自分の興味関心は次の通り、

1哲学、宗教学、倫理学
2文化人類学、少数民族の歴史(アボリジニ、サーミ、ロマ、アイヌなど)
3IT関係、最新技術関係
4ファッション、ユースカルチャー
5まちづくり、行政、政治関係

ぐらいだろう。1が一番調べたいこと、5に行くに連れて知識の補完的な感じで。

哲学については自分のライフワークにしてもいいと考える。自分にとっての哲学はその哲学者がその考えに至った、考え方を学ぶ学問と考える。その考えを持つきっかけを考えるにはやはり、その時代の背景や当時の宗教観などが関わってくるだろう。

文化人類学についてはいまいち自分のなかで筋道が導けないが、今までの自分の調べ学習では、多数派VS少数派の視点でいろいろな対立構造を調べてきた。今現在少数派に位置する先住民達の歴史や生活様式、歴史観、それぞれの文化を学び自分の中でなんらかの形にできたらと思う。

3~5は自分的にはそれなりに知識があると思うので補完するかたちで。

まぁつれづれなるままに忘れないまでに書いて行きたい。

キルケゴールについて

セーレン・キルケゴール デンマークの哲学者

ちなみ私の2013年の年賀状はキルケゴールから言葉を拝借した。

実存主義の先駆けないし創始者。

彼自身をはじめとする個別・具体的な事実存在としての人間を哲学の対象としていることが根底にある。

実存主義はそれまでの哲学が大枠として「人間」を捉えていたのに対し、人は人それぞれ違う事を確認しそれぞれの生きて存在する人間として実際に存在する「実存」という形で実存主義を打ち出した。

キルケゴール自身はひどい人間ですが、言わんとしていることは共感が持てます。人間、常になにかを選択して生きています。
人それぞれどう生きるかは当然違うので大多数の人があーしろこーしろ言ったって、その言われた人にとってモデルケースが違うので結局は自分で判断し何事も選択肢なくてはいけないと自分は考えます。

もっと哲学について勉強しなくてはいけないな。

参考リンク
http://www.ozawa-katsuhiko.com/17nyumon/nyumon_text/nyumon13.html