2013年1月3日木曜日

バートランド・ラッセル 他

現代哲学者のバートランド・ラッセルは、労働について以下のように述べました。

「幸福へいたる道は、労働の組織的な減少のうちにある」
つまり、より労働しなくなれば、人間の幸福は増進する。

さすが、ウェールズの貴族に生まれケンブリッジ大学で数学を研究していた人はいうことが違います。

なぜ、こんなことを備忘録に残すかというと、自分は根っからの怠け者です。働きたくないです。しかし、煩悩が多く欲深い人間なので、安定だけがとりえの自分自身一番向いていないと思う業種で働いています。

私自身の労働する目的は、自分で稼いだ金で欲しい物を買い、行きたいところへ行くために働いています。すなわち、労働のあとの、余暇的?な部分のために働いています。

自分はいままでラッセルの名前は知っていましたが、中身についてはうっすらしか分かりませんでしたが、調べてみるとなかなか面白い。

ラッセルは余暇こそが私たちの生活の主たる部分を形づくり、遊びと創造性の源泉となるべきものだと述べています。

なるほど、同意せざるおえません。

また、労働の道徳性とは、奴隷の道徳性であり、現代世界にはもはや奴隷制は不要だ、とも言っています。このへんは現代日本の労働観に通じるところもあると思います。

ラッセルはこの辺で終わります。明日から働きたくねー。つまり逃避のために労働について述べました。

つぎは時間についてです。

時間の概念について考えていると時が流れるのが早く感じます。(個人的に)
日本人は時間に正確と言われていますが、明治初期までオランダ人技師があきれるぐらい日本人は時間を守らなかった話はよく聞きます。しかし国を挙げて時間管理を教育したおかげで世界でも有数な時間に厳しい国になりました。

時間の感覚というのはその文化や宗教などによってもそれぞれ違うと思います。
~するの面倒なとき、億劫だといいますが、億劫とは時間の単位です。最近億劫について解説したネットのコピペを見ますが、一劫とは100年に天女が降りてきて羽衣で岩山を撫でる行為を言います。その岩山が羽衣の摩擦で消滅するはてしない時間を億劫と表現しています。さすが仏教果てしない。

時間の流れ(方向)を考えることも自分は好きです。おそらくほとんどの人は時間の方向は過去から未来へと流れていくと考えているかと思います。私自身もなんも疑いもなく最近までそう思っていました。年末の連続遅刻事件を気に改めて時間について考えました。

そこでの答えは時間は未来から過去へ流れている、とする時間観に至りました。
仏教などでは今行なっていることもその刹那刹那で過去になると考えられていますが、自分の立ち位置を現在と考えると未来から時間が流れていき、その事象が過去になるということらしいです。

これはなるほどと思いました。過去から未来への時間の流れは一神教的な時間の流れだそうです。キリスト教などではこの様な時間の流れのほうがいいらしいです。結局のところ、たいていの一神教は終わりが来て、最終戦争ですべてがなくなり、来世ではいいことあるよ、信じてればね。っていうスタンスなんでそのような時間の流れがいいかもしれません。

ながながと書きましたが、今現在の自分は明日から働きたくない一心でこんなことを逃避的に調べてしまいました。つまりなんで休日はあっという間に過ぎてしまうの?からなんで働かなきゃならんのか?まで完全に逃避です。

なんで人は逃避するか?を書いてしまったら、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を書かなくてはなりませんので、またそれはいつか。

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